QQの願望

私の少年時代・・昭和30〜40年代
日本の高度成長期の少し前になると思うが
あの時代の家庭は、戦後の傷も癒えて、裕福になりつつあったと思う。
私の家庭は、親たちが病気で貧困そのものだったから
世間では白黒テレビが、少しずつ浸透し始めの、時だったけど
私の家には、電気が無く
電灯も無く、情報源であるラジオすらも無い。
そんな環境下が
ラジオ工作へと駆り立てて…(後、テレビの修理屋)
電池で動く、電灯線を必要としないトランジスターが
私の生まれた時期とほぼ同時代(一年違い)
で、そのトランジスターの進化と相まって、特に親しみを覚えた。
トランジスターの成長は素晴らしく、いま、私は劣化の道を辿る事に…。

あの当時(後出しジャンケン思考ではあるが)
もう少し勉学心があったなら電子工学の専門家になっていたかも、なぁ…と。
まぁそれが、後年、参考書の虫になる由縁だ。
しかし、世の中ままならないものだ。
子供時代から勉学心低い上に優柔不断の性格が、何事も深く追求しない
広く浅くの中途半端な知識しか詰め込めない脳人間になった。
それが
高齢者になるまえ頃から、世の中の電気関連のコンピューターの進歩が
目を見張る高スピードで進んでいる。
今の若者とて、ハード面に興味薄ければ、いろんなアプリ使いこなせない
ミニ・ミニのコンピューター、スマートフォンが世の進化を物語っていると思う。

トランジスターの進化がもたらしたコンピュター40数年前勉強しそこねたけど
Windowsすら満足に習得していないのに
そう、何百〜何千万項目そして、開発力への知識の挑戦
オープンOSのLinuxに首をつ込む真似をしている。
これはひとえに、頭の回転低下防止だけの意味でしかない。
まぁ、頭脳明晰なら英語再勉強して、Linux基礎から開発まで
勉強したいけど、それは次の世に?期待するしかないようである。

余談:
世の中・・人の世を、甘く思考の人達は、パーソナル・コンピューターを
一般家電の延長線に考えているような気がする。
意味を変えて言うなら、世界・日本の国政のシステム理解せず批判する
(個々の国・社会・個々の家庭の正常な生活ルール)
傍聴席的立場の人が多いように思う。世の紛争の因はそこらへんかなぁ、と。
(そして、人としての思いやりの気持ち)
私は、傍聴席立場のタダの阿呆である。残念だとも思っている。