映画と動画の話

若い頃から映画が大好きで主に洋画をよく観ていた。
そして、単に観るだけ
映画の題名とか俳優さんの名前の記憶がほぼ無い。
50才位まで映画のストーリーは、ほぼ鮮明に記憶していた。
その僅かな記憶にあるのが・・
10代に観た「007」のジェームスボンドとか「ミクロの決し圏?」
「荒野の用心棒」などが封切り映画での強く印象に残っている。
中年時代には「時計仕掛けのオレンジ」「チリチリバンバン」
大阪梅田には、
超ワイドの映画館で、OSシネラマがあり、そこも時折行った。
大阪日本橋には小型の映画館も出来てそこも時折行った。
よく、利用したのは・・
難波の、二本立てや一本の「古い」映画
道頓堀近くのキリン会館?などもよくいった。
大阪梅田の近くには、毎日新聞社の建物にも二つの映画館があり
特選の名画をよく観たものだ。
そして後年
海遊館が出来て、そこに大きなスクリーン(おそらく日本一)
立体画像(薄っぺらいメガネで観る)リアル感、満喫出来た。

いま、それらの映画館は無く良き思い出になっている。
そしてテレビの夜9時ぐらいからの、各民放の映画劇場など
良く観たものだ。
ここ10年近くTV自体観ることが極端に減りニュースがメイン
そして
インターネットの依存傾向が強くなった。
ネット動画は
映画と国内外の個人作品のアニメや、まんが日本むかし話
そして、
映画好きにとっては、映画を作ってみたいとも思う(単なる願望)
そして
コンピューター好きでもあるにも関わらず
コンピューターの便利利用の勉強出来ずで「短編アニメの自作」など
脚本して作りプログラムを作成し投稿が果たせていない。
(日本のサイト、ニコニコ動画には多く見かける)
これが本来の、コンピューターの(手軽に可能な)利便性だと思う。
彼ら若者と、ツィーターやMIXIで何も語れない、何とも不甲斐ないと。
ネット動画傍観者の私は
動画のほかネットサーフィン(私語でネット散歩と、言っている)
散歩が、いつしか立ち止り
古典落語浪曲クラシック音楽と演歌のさゆりさん(他はゼロ)
サイトで言えば「青空文庫」の明治・大正の人達の(SF小説)
頭の中は娯楽で一杯
しかしパソコンは目が疲れるので、簡易工作・市内の公園散歩
腰痛で杖を利用の生活、先々の不安が脳裏をよぎる日々になっている。