落語とQQの人生

私は子供時代から笑顔のない環境
日々の生活の貧困
鈍すれば貧する…ことわざ通りだ、と思う。
でもまぁ貧の上塗りの
妬み癖が生まれなかったのは幸いだと思う。
祖父母のおかげと思う。

青年中年そして老齢期
世間の社会批判など私は大きく興をそそらない。
自身が政治に関与しようとか身の周り政治関係者も居ないし
それが主因だろうし
政策論など考える事なく生きてきたし、これからも無い。
日々の生活は、臨機応変・適時工夫をすればよいと思う。
日々の個々の環境改善は、個々の工夫第一と思っている。
個々に工夫なく、苦情多い連中の社会批判の類の話題は嫌いである。

私のテーマは
趣味と娯楽を、どうのように付き合うかに尽きる。
笑いは、心の余裕を生む大事な一つだと思っている。
落語を聴いていると
人の生き様の一場面があるように思える。
人のそそっかしい部分、そして
暮らしの中で重要な、人情のやり取りなど
それらの先人の知恵を落語の世界から読み取ってきた。
それが根源ではあったけど、落語家自体には興薄く
科学の一部、電気の世界、更に一部分のコンピューターの世界で
数学・英語が苦手ゆえごく初歩段階の仲間入りで
人生の終焉を迎えようとしている。
次の世界があるのなら、ひたすら数学だと思っている。